“幸せになる”ってどうしてむずかしいの?

Q1 

 

 なぜ私は苦しんでいるの?

   

 まず、苦しみとは何かを理解しましょう。苦しみには3種類あります。

  

1.自分の体と思考からやってくる苦しみ

  

2.他の生命体から与えられた苦しみ

  

3.自然災害から与えられた苦しみ

 

 ときに人は体のことで苦しみ、心のことで苦しみます。私たちは誕生のときにも、また母親の子宮のなかでも苦しんでいます。人生を振り返ってみると、いつもこれら1種類から3種類の組み合わせのなかで苦しんでいることがわかります。

 

 動物は苦しんでいますが、苦しみを取り除く方法を知りません。一方、人間は科学的、哲学的、文化的、宗教的に発展し、さまざまな分野で進歩してきましたが、それは人間だけが幸せになりたいと望んでいるからです。この理性は特別に人間に与えられたものです。

  

 私たちが苦しむ原因は無知にあります。私たちは苦しみから子どもを救うために学校に通わせます。もし子どもが教育を受けなければ、その子が将来苦しむかもしれないことを恐れているからです。私たちは、苦しみは無知、知識の欠如が原因で起こることを知っています。それなのに、「私は過ちを犯しているから苦しんでいるのだ。」とは考えません。無知によって過ちを犯し、そのことが原因で苦しんでいるのです。

 

 

 

Q2 

 この苦しみをどのように受け入れ、対応すべき?

 

 苦しみには耐えなければならないことは明らかです。知性ある人の性質のひとつに忍耐心があります。皆、ある程度の苦しみに耐えますが、自分が体そのものではなく、魂であることを理解してさえいれば、苦しんでいても、強い苦しみを味わいません。

 

 

 

 例えば、ある人が、「これは私の車だ。」と、強く執着していた場合、故障したときの苦しみは「修理すればいい、またはそのままにしておけばいい。」と考える人に比べ、強いものです。同様に体は私、つまり魂が住まう乗り物に例えられます。私たちは活動を止めるべきではありません。むしろ苦しみを避けて正しく行動すべきです。それは自然なことです。ちょうどそれは自分の車が必要だからこそ入念に手入れするのと同じです。私たちは幸せな人生を送るため、体に気を配ることによって、自分の仕事と望みを果たすことができます。

  

 私たちがこの物質界に存在しているかぎり、幸せと不幸せは繰り返しやってきます。ですからそのことに乱される必要はありません。私たちの本来の仕事は自己の悟りに関する知識を求めることです。「自己の悟り」とは、体と魂の違いを理解することです。それが人間生活の目標です。苦しみと、いわゆる幸福は、物質的な体を持っているかぎり続きます。しかし「私は体ではない、体のなかに存在する魂である。私は過去の行為の結果、輪廻の過程でこの体を授かった。」という知識を持つべきです。この知識こそが苦しみから私たちを解放してくれます。知識に基づいた行為が将来の苦しみを取り除く助けとなります。

 

  

 

Q3 

  魂は本来喜びに満ちているのなら、なぜ苦しんでいるの?

 

 

 大臣であろうと一般人であろうと、苦しまなければならないというのは事実です。私たちは体を持っているために苦しみます。また今現在行っていることは、将来の苦しみの原因となります。今苦しんでいるのは、過去自分が行ったことの結果が返ってきているためです。例えば熱いものに触るとやけどをします。たとえ無知の状態、つまり触ったものが熱いかどうかということを知らなかったとしても、やけどをして苦しまねばなりません。同様に、自分に特定の病気があり、その原因を理解できなくても、病気は私たちを苦しめます。もし偶然に毒を飲んでしまい、それが毒であることを知らなくても、その結果に影響されます。ですから私たちは、自分の過ちを理解することによって、苦しみの本来の原因は何なのか、ということを探る必要があります。

 

 

  

Q4 

  具体的にどうすればいいの?

  

 処方には、2種類あります。症状に対する治療と、根本原因に対する治療です。医学的

 治療においては、外科手術や薬などが症状に対する治療です。それらは苦しみの症状を取り除くために必要なことです。しかし本当の安らぎは、苦しみの原因を理解し、その原因となる行為をやめたときに訪れます。

 

患者が医者にかかるとき、医者は薬、食事と制限を与えます。患者が助言に従った場合、回復の余地は十分にあります。病気の原因となる行為をやめ、正しく行為するようになります。苦しみを引き起こす無知の行為は、どんなものであれ、正す努力をすべきです。

 

 物理学の法則に、すべての行為には、等しく反対の作用が働くというものがあります。ときどきよかれと思ってした行為が悪い結果をもたらすことがあります。完璧な人はいません。誰にでも欠点はあります。物質的な体を持っているかぎり、間違いを犯します。「誰にも過ちはあるもの。」しかし、私はこの体ではない、ということを理解したとき、それは知識を得たということです。「私は体のなかに座す魂である。私は間違ってこの体を自分自身と同一視している。この体こそが苦しみともつれの原因である。」私たちが魂と体のちがいを理解したときに、苦しみから自由になります。

  

Q5 

  この処方箋を手に入れるには?

  

 苦しんでいるとき、私たちはいつも不安に駆られています。「自分が体である」と思っているからです。しかし「私は体とは別の存在であり、魂が体に座しているのだ。」ということを悟るとき、すぐに不安から解放されます。もはや恐れも不安もありません。究極的には誰もが死を恐れています。しかし私たちはこの体ではなく、魂は不死だということを完全に理解すれば不安になることはありません。

 

  

Q6  

 将来苦しまないようにするための方法は?

  

 ときどき人は、「なぜ神はこのような苦難を創ったのか。なぜ私は苦しんでいるのか。」と訴えます。私たちは自分の過ちのせいで苦しんでいます。神は幸せを共有するために私たちを創りました。神は幸せに満ちたお方です。私たちは神の一部分です。私たちは幸せであるべきです。しかし幸せになるために、私たち自身が神の指示に従わなければ、それは私たちの過ちです。よって私たちは苦しまなければなりません。どの宗教にも神によって与えられた法則があります。神の指示に従うことによって直ちに保護され、すべての苦しみから解放されます。

  

 

Q7  

 神は存在するの?

 

   私たちは神と医者とを崇める

   だがそれは危機に瀕したときだけ

   危機が去ったあと、人は両者を讃えるであろうか

   神は忘れられ、医者は侮られる

    ジョン・オーエン 風刺詩

 

  危機が迫ったとき、人は神に助けを求めますが、それは患者が痛みを和らげるために医者に行くのと同じです。必要なときに助けを求めることは確かに賢い選択ですが、ただ危機に瀕したときだけでなく、いつも神を探し求めるほうが賢いと言えます。同じように、普段から医者の指示にしたがって健康的に生活するほうが賢いと言えます。

 

  

Q8 

  健康的な人生とは?

  

 すべての経典は、健康的で清潔な人生を送り、他者を助けることを教えています。一般的に健康的な人生には4つの原則があります。

 

 *清潔さ*

  「清潔さは神敬に次ぐ美徳」ということわざのとおり、私たちは内面的にも外面的にも清潔にする必要があります。外的な清潔さとは体や周囲をきれいに保つことです。少なくとも毎日一度はシャワーを浴びます。毎日せっけんを使う必要はありません。起床時と就寝前に歯磨きをすること、食べ物に汚れが入らないように爪を切ること。家、衣類、家庭用品、食べ物などは清潔であるべきです。現代の食生活においては、ジャンクフードや喫煙、飲酒が病気の原因となっているため、避けるべきです。このような簡単なルールが私たちを健康的で幸せに保ちます。

 

  内面的な清潔さとは、欲情、怒り、貪欲さを持たず、純粋な心を保つことです。穏やかで、寛大で他者に優しくあるように心がけます。多くの病気が心から発して後に体に広がります。自分を傷つけた人のことをゆるし、その人の改心を祈ります。自分に起こった苦い経験を引きずることは、単に自分自身の害となるだけです。

 熱意をもって努力すれば、ものごとは必ずよりよい方向に向かい、人生は成功します。

 

*真実性*

  私たちは他者の心を乱さないように話し、真実で、喜ばしいこと、有益なことを語るべきです。ていねいな言葉を使う人は誠実な人と呼ばれます。個人の意見で真実を歪めてはなりません。

  

*慈悲心*

  どんな生き物も不必要に傷つけるべきではありません。人間でも人間以外でも同じです。すべての生きものの父が神であるという観点からすれば、皆が私たちの兄弟・姉妹です。

  

忍耐心*

  苦行とは、より高い目的のために何かを我慢することです。健康的な食生活と清潔さを保つことは、ときに不都合な場合もありますが、健康を保つというより高い目的のため、ライフスタイルをよりよくするために、日々実践すべきです。

  

Q9 

  死とは何ですか?

  

 死は、私たちの体に必ずやってきます。私たちの体の寿命は約100年間です。もし健康的な人生を送り、適切なケアを行っていれば、長く生きられるでしょう。ときに事故や病気やほかの要因で早く最期を迎えます。

 

 

 多くの人が現世に強く執着しているため、死を恐れます。また、死後何が起こるのか知らないために恐れます。私たち毎晩、深い眠りに入って意識が体を離れたときに、一時的な死を体験していると言えます。夢のなかで私たちは多くのことをしていますが、実は眠っているのだということを忘れています。眠っている間でも、体内では種々の活動が行われており、疲れや機能を修復しています。死を迎えたあとはもはや体は修復不可能となり、魂は次の別の体へ移ります。それはちょうど毎晩私たちが夢を見るときにしていることと同じで、何も恐れる必要はありません。

  

Q10 

 死はすべての終わりですか?

  

 死はすべての終わりではありません。それは新たな人生の始まりです。今、今世で清潔さ、真実性、おもいやり、苦行などの基本的な規則に従うことによって苦しみから自由になることができれば、幸せになれます。私たちの人生は聖なるものとなり、人生の最後に神のもとに帰ることができます。

 

  

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